実は最近、ペットの愛犬が亡くなってしまいました。17歳を目前に、天国へ。
数か月前から覚悟はしていたものの、実際に動かない子を目の前にしたときの衝撃は想像以上のものでした。
ここまでこの子が私の心の中を占有していたなんて。
あまりにもそばに居ることがあたり前で自然のことで、あの子がいなくなってしまった部屋の中は本当に色を失ってしまったように見えます。
今回はこのブログのテーマとは全く異なるペットのお話ですが、どうしても私は自分の気持ちを残しておきたくて書くことにしました。
とにかくあの子に会いたい、もう一度柔らかい毛に触って抱っこしてにおいを嗅ぎたいと思うばかりです。
ワンコの晩年となってしまったここ数年は、私が在宅ワークを始めたことによって以前よりいっそう、一緒に過ごす時間が長かったように思います。
子どもの帰りを玄関で毎日迎えてあげたい気持ちもあって在宅ワークを続けていますが、同時にペットといられる時間も増えましたから、本当に在宅ワークをしていてよかったと思います。
夫との共働き時代は、やっぱりワンコと過ごす時間も少なかった、、
きっと今日はとりとめのない文章になると思いますが、お許しください。
決して飼いやすいとは言い難かったうちのワンコ
そんなワンコは、いつもピョンピョンと活発な子でした。
見た目はとっても愛らしいパピヨンでしたが、気が強くて抱っこも嫌いです。
パピヨンにしては身体も大きく、毛もフサフサ。
堂々として長い毛をなびかせているその姿は、ライオンのようでもありました(←ライオンはネコ科ですけど)
ドッグランに行っても他のワンコと仲よくするでもなく、一人(一匹)で猛スピードで走り回る。
とにかくよく吠えるワンコで、近くを小さい子が走ったりバイクが通ったりしたただけでけたたましく吠えるので、相当気を遣いました。
慣れない場所では落ち着きがなく、なかなか人間が一緒に楽しめる場所にも行けなくて…。(ドッグカフェとか)
散歩中もオス犬にはやたらと吠えられるし、こちらも吠えかかるしで、あまり他のワンちゃんに近づけることもできないんです。
ある時ノーリード※の大きい犬が近寄ってきて、いきなり首元を噛まれたこともありました。
私はパニックになってその犬をなんとか引き離そうとしましたが、うちのワンコは負傷しながらも自ら応戦し、犬を退けました。
(しかし、その時のことを思い出すととてもイヤな気分になります。飼い主は一部始終を遠くから見ていたにもかかわらず、飼い犬を呼び寄せた後そそくさと逃げるように帰っていきました;;)
※飼い犬をノーリードで散歩させるのは、そのワンちゃん自身も危ないのでやめてほしい
首から血を流しているうちの子を急いで病院に連れていき事なきを得ましたが、本当に肝を冷やす出来事でした。
そんな大きい相手にもひるまない様子から、夫と私は彼の事を「きっと野生のパピヨンだね」と話していたほどです。
私の人生の濃い時期を余すことなく一緒に過ごしてくれた愛犬
うちのワンコが家にやって来たのは私が32歳のとき。
まだ私がOLとしてバリバリ働いていたころでした。
共働きだったのでペットを飼うことは迷いましたが、幸い当時は夫が自宅で仕事をしていたので「よし!」と決心をつけて。
うちのワンコは辛い時に静かにそっと寄り添ってくれる…なんてことは一切なく、私が辛い時も楽しい時も、いつも変わらず明るい笑顔で、ときにはうるさく吠えてまとわりついてくる。
とにかくいつもそこに「いる」存在でした。
今となっては、その存在の大きさがどれほどのものだったかと思います。
私たち夫婦は結婚してから数年間子供がいませんでしたから、その間はワンコと3人でいつも一緒でした。
私にとっては長男のような感じです。
そして私が38歳のときに、子どもが生まれました。
ワンコは6歳。
始めて見る赤ちゃんに最初はパニック気味になっていましたが、すぐに受け入れて大好きな存在に。
そしてその息子が10歳になるまで、本当に仲良く兄弟のように過ごしてきました。
最後の日まで。
また私の人生においても、この16年間はとても「人生の濃い」部分だったように思います。
結婚して社会人として働き、子どもを産んで育てた16年。
仕事と育児に悩んで病んでいた時期も、仕事を辞めてパートを始めた時期も、その後在宅ワークを始めたときにも、全てワンコが傍らにいました。
そしてどんな状況であっても、ほとんど毎日一緒に散歩に行き、毎日撫でてお話をして、ご飯を一緒に食べましたね。
散歩は時には大変でしたが、今思えば私の良い気分転換にもなっていました。
私の人生で、これほど一緒に歩いた人(犬ですけど)は、このワンコのほかにはいません。
一体どのくらいの距離を共に歩いたんだろう、、、と思いますね。
とにかくつらい時も楽しい時も、家族の傍らにこの子がいてくれたんです。
ペットが、自分の年齢を追い越していってしまう切なさ
13年程前に愛犬と戯れている自分の写真を久々に見ました。悲しくなるので、昔の写真はまだあまり見れないのですが。
もちろんワンコは元気いっぱいでやんちゃな顔つきで、それはそれは可愛くて…。
また、当時の私といったら、お肌もピカッとしていて髪の毛も今よりつやつやでビックリ。
それだけ、長い年月が経ったんですよね。
そんなときから一緒に過ごしてくれたワンコ。
16年前は赤ちゃんだったのに、いつのまにか私の年齢を追い越して、先に死んでしまった…。
なんだか「ベンジャミンバトンの数奇な運命」という映画を思い出してしまいました。
映画のほうは、おじいちゃんから赤ちゃんになっていくというお話しでしたけどね。
人間と犬は老いるスピードが違う。
最後の数年は耳も聞こえなくなって、亡くなる数か月前からは目もほとんど見えなくなっていました。
昔はやんちゃで手を焼いたワンコでしたが、晩年はすっかり穏やかに。
亡くなる前日の散歩中も、道を行く小さな子供たちに「可愛い~!可愛い~!」と言われて、いっぱいなでなでしてもらって、うんと幸せそうな顔をしてましたから。
やんちゃな頃のワンコなら、「わんわんっ!」と子どもたちを蹴散らしていただろうけど(汗
この16年と数か月は本当にあっという間のようでもあり、とても長くも感じます。
こんなに長い時間を一緒に過ごしていたんだ、そしてその間ずっと家族のことを大好きでいてくれたんだと思うと、本当に本当にペットってなんて尊い存在なのかとあらためて思います。
息子に投げかけてしまった疑問に後悔
息子はワンコの死にかなりのショックを受けているはずなのに、明るく振る舞っています。
いつもより明るくおどけているようにも、私には見えてしまいます。
息子にとってワンコはどのような存在なのでしょう。
そしてワンコにとって、息子はどのような存在なのでしょう。
私は息子が生まれる6年前からワンコを飼っていましたから、息子が生まれて病院から帰ってきたその日から、息子は犬と一緒に暮らしてきたわけです。
ワンコにとって、後から家にやってきた息子は自分の群れの一員であり、弟のようであり息子のようであったのでしょうか。
うちのワンコは自分が群れのリーダーだと思っていたふしがあります。
(犬のしつけ、という観点からはあまり良くないらしいですが。。。)
だから赤ちゃんとして途中から参加してきた息子のことは、最初は驚いていたものの、すぐに受け入れてくれました。
赤ちゃんは多少強引なところがあります。
ワンコは息子の遊びに付き合わされ、あちこち振り回されたりもしてましたが、一切息子を噛んだりすることはありませんでした。
息子がバウンサーでお昼寝しているときは必ず足元で寄り添うようにワンコも寝ていました。
私が誘導したわけでもないのに、不思議でしたね。
まあ普段は、(なんやこの乱暴な新入りは・・・!)と多少イライラしていたかもしれませんが。
このあたりの思い出を語り始めるとキリがないのでこの辺でやめておきますが、とにかく息子にとってもワンコは「家に居て当然」の存在。
赤ちゃんで目が見え始めた時からワンコが家にいるんですからね。
朝起きればワンコが寄ってくる。
保育園や学校から帰ってきたら喜びいっぱいに出迎えてくれる。
散歩もたくさん一緒に行きました。
キャンプも行ったし、飛行機で一緒に帰省もしました。
なにより、毎日寄り添って可愛がっていた存在。
ワンコが年老いてからも、亡くなるその日まで、息子は愛犬のことを「可愛い、ほらママ見て!!可愛すぎる!!」と毎日そう言って顔をスリスリしていました。
なのに、愛犬が亡くなった日もその翌日も、息子は明るいんです。
もちろん亡くなった日の朝はとてもショックを受けていて、言葉がほとんど出ていませんでしたけれど。
私はなぜ息子が明るくしているのかが分からず、つい「悲しくないの?」と聞いてしまったのです。
今思えばそんな質問してはいけなかったと思いますね。
息子は、
「悲しいよ!でも〇〇は死んでしまったんだから。すごくさびしいけど、そんなに泣いてばかりいたら〇〇が天国に行けなくなっちゃうよ。」
その言葉を聞いて、私は深い海の底から引き上げられるような感じがしました。
私がメソメソとずっと泣いているから、息子はいつもよりも明るく振る舞っていたのではないか。
今の世の中は男だから、とか、女だから、という言い方はふさわしくないという方向に流れていますが、息子は泣くばかりの母親を目の前にして、「ぼくは男だからメソメソしないんだ」という思いがあったのかもしれない。
生まれてからあたり前のようにそばに居た存在が突然いなくなったのです。
悲しくない訳がありませんよね。
お母さんは、とても浅はかな質問を投げかけてしまったね。本当に申し訳ないなと思いました。
最後に
気が付くと、ずっと泣きながら書いていました。だからとても疲れてしまいました…
書いている最中、これは疲れなのか、悲しみなのか分からない重たい気持ちが背中から覆いかぶさっているような感覚がありましたが、書くことですこし軽くなったような気もします。
泣いて悲しんで、文章を書きなぐって気持ちが軽くなった、などと思う自分は身勝手ですね。
でもそうせずにはいられないのです。
犬でも猫でも、生き物を飼うということはとても大きな責任を負うこととなります。
先ほど述べたようにペットが老いるスピードはとても速い。
…ということは、家族が1日家を空けただけでも、ペットにとってはとてつもなく長い時間です。
だから帰宅した時に、あれだけ身体いっぱいの表現で喜びを爆発させるのかもしれません。
私は今回何を言いたかったのかは自分でもよく分かりませんが、今の気持ちを書くことで、あの子と暮らして本当に幸せだったんだとしみじみ感じました。
悲しみはとても深いですが、こうやって気持ちを吐き出すことで心の均衡を保てるのかもしれません。
最後の5年間、私が在宅ワークを始めたことでずっとワンコと一緒にいられたこともうれしく思います。
ワンコは晩年目も耳も不自由になってしまいましたが、私が家にいることはもちろん分かっていて、私が仕事をする足元で安心して寝ていました。
介護に手をかけてあげられたのも、ゆっくりのんびりとしたお散歩ができたのも、私が家にいられたから。
昼夜逆転して夜鳴きがあっても、(まあ、昼寝すればいいか!)という気持ちで根気良く付き合うことができたので、在宅ワークで良かった、と思うことはたびたびありました。
今はその大変だった介護や、夜鳴きで起こされることすらも恋しい。
最後に・・・
今まで私たち家族と一緒にいてくれてありがとう。
でも、まだまだ介護もさせてもらうつもりだったよ。
早く夢に出てきてほしい。もう一度会いたいです。
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